🎹👩‍💼👩‍🎓私がピアノを習いだしたきっかけは (2024/05/09の記録より)

浅田美鈴 Biography (ピアノの伝記)ーMy youger days.

私がピアノを習いだしたきっかけは、ひとつ年上の親戚の女の子が習っているからと、母が近所のピアノ教室に申し込んだのがはじまりでした。ひとつも練習しないで、一週間に一回レッスンに行くだけだったので、先生に怒られてばかりいました。ただ、鉄腕アトムとかドレミのうたとかに勝手に伴奏を付けて弾けていたので、小学校1年生のときの学習参観日に突然先生にいわれて、みんなの前でオルガンで「ドレミのうた」を弾いたのを覚えています。

3年生になると、音楽の教科書に収載されている全ての曲に自分で伴奏を付けて弾けていたので、自習の時間には、オルガンを弾いてみんなに歌わせるようにと、先生からいわれて、やっておりました。

6年生のときは、合唱部のピアノ伴奏になり、小学校の所在区の区の音楽会にも伴奏で出演しました。

テンポが遅かったので後から先生に叱られました。

そこから引っ越しをして、ピアノの先生が変わり、自分が教えなくても勝手に曲想がつけられているので、音楽の道に進んだらといわれたので、父にいうと、反対されたので、家まで頼みに来られました。

そこからはじまったのです。

その先生から紹介で中学、高校のときは、尼崎から先生が箕面に引っ越しされたので、箕面にピアノのレッスンに通っていました。如意谷というところでした。大阪教育大学の特音を卒業された府立高校の先生でした。声楽と楽典、聴音は奈良の学園前までレッスンに行ってました。同じく大阪教育大学の特音を卒業された府立高校の先生でした。そこからまた、紹介で大阪の西成区に所在するピアニスト排出で有名な「金澤ピアノ塾」の芦屋教室の音楽学部の教授のご自宅にレッスンを通うようになりました。入門テストがあってパスはしたのですが、受験までは奥さんにレッスンを受けていました。

その時、同学年の人たちで灘三人組が同じ門下にいました。三人とも東大に進学したのですが、むちゃくちゃピアノがうまく、そのうちのお一人は東京芸大に行きたいと言っていたそうなのですが、な、なんとその人はあの「ヤンマージーゼル」の御曹司で、東大になったそうです。同じく芦屋の山手にお住まいで、奥さんのピアノの先生がおうちに行かれたそうなのですが、「応接室にはスタインウェイがあり、山岡君の部屋にもグランドピアノがあり、男使さんが二人いた」とか、言ってました。先生が家を新築されたときにヤンマージーゼルの社長から私の家に葉書が来て、新築祝いをひとり1万円でという内容のものでした。父がヤンマージーゼルの社長から葉書が来たととても喜んでいたのを覚えています。

その後、無事音楽学部ピアノ専攻に合格はしたのですが、教授からは「あんたは、才能はあるけど、テクニックが…」と、いつもいわれてました。やはり、幼少からこの教授のようなアカデミックな教師にレッスンを受けてアカデミックなピアノ教育を受けていないと、東京芸大や桐朋学園には進学できないというのがわかりました。 それでも、反田さんのようなピアニストになるのはほんの一握りで厳しい世界です。


©2008 音楽工房ピアノぴあ♪浅田美鈴

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